「繊維のダイヤモンド」山まゆ

『可部町を中心とした山まゆ織』

広島市教育委員会 1974

芸備地方における山繭紬の初見記録は江戸時代で、元文四年(一七三九年)である。広島藩の国産として山まゆ紬の製法について次のように報告している。
 山まゆの儀、芸州并備後国之内奥郡山々ニ而山子共拾ひ持出候を買集、高宮郡鈴張村(広島市安佐町)・沼田郡小河内村(同町)・山県郡今吉田村(山県郡豊平町)・吉木村(同町)辺ニ而織申候

一、山まゆ附申候木ハ栗槙類樫にも附申候、此樫ニ付候まゆ又ハ暖所之まゆ宜敷御座候、尤まゆ乏きものニ而凡木 数百本程之内ニまゆ壱ツ弐ツ程宛附申候、秋之土用以後取申候
一、色合之儀、秋迄者青色ニ御座候、山に久敷御座候程白ク織立候得者白茶薄色御座候
一、織申儀者四季共ニ少し宛織申候へ共、専秋末より正二月頃迄織申候
一、織立様之儀、まゆを阿久に入れ、能煮申、水ニ而洗ひしぼり揚、綿を引申候にしてまゆを引出し、風立不申天気を見合、能日和にのりを附而壱筋宛に而干立申候、織候横糸ハよりをつけ紬のごとく巻候而織立申候
一、山まゆ地二反差出申候
一、まゆ上中下三品差出申候

<読み下し文> 可部と山まゆ織(運命共同体としての史的展開p.179-182)
 山まゆの儀、芸州ならびに備後国の内奥郡山々にて、山子ども拾ひ持ち出し候を買い集め、高宮郡鈴張村・沼田郡小河内村・山県郡今吉田村・吉木村辺にて織り申候。
一、山まゆ附き申し候木は、栗(くり)槙(まき)類樫(かし)にも附き申し候。此樫に付き候まゆ、又は暖き所のまゆ宜(よろ)敷(しく)御座(ござ)候。尤(もっとも)まゆ乏しきものにて、凡(およそ)木数百本程の内にまゆ一つ二つ程宛(づつ)附き申し候。秋の土用以後取り申し候。
一、色合(いろあい)の儀、秋までは青色に御座候。山に久敷(ひさしく)御座候程白く、織立(おりたて)候えば白茶薄色に御座候。
一、織り申す儀は、四季ともに少し宛織り申し候へども、専(もっぱら)秋末より正・二月頃まで織り申し候。
一、織り立て様(よう)の儀は、まゆを阿(あ)久(く)に入れ、能(よく)煮申し、水にて洗い、しぼり揚(あげ)、綿を引き申す候にしてまゆを引出し、風立ち申さざる天気を見合せ、能(よき)日和(ひより)にのりを附けて一筋宛にて干し立て申し候。織り候横糸はよりをつけ紬(つむぎ)のごとく巻(まき)候て織り立て申し候。
一、山まゆ地二反差し出し申し候。
一、まゆ上・中・下三品、差し出し申し候。